2009年5月21日、裁判員制度スタート。

これは、いったい何なんだ!?
わけもわからず飲み込まれるより、
少しは考えておきたいぞ。


裁判員制度について、語る。編

ヤモリさんは僕の友人で、
法律家を目指しておられます。
裁判員制度について理解を深めるとすれば、
この人をおいて他にいないでしょう!

第10回:あらためて裁判員に期待されること

矢透 裁判の現場で見る事件というのは
マスコミが語る事件とは
別物なんだろうね。

実際に裁判の場にいれば、外から見て
「あの判決はおかしいんじゃないか」
という判決が出てくる妥当性というのも・・・


ヤモリ わかると思う。
「ああ、きっちりやってるんだ。
まともな判断なんだな、これはこれで」
って思ってもらえるチャンスじゃないかな。


矢透 今言ったように、裁判というのは
裁判官も検察官も弁護士も
「プロ」がやっているわけだよね。
国民の考えを裁判に反映する、
ということが
裁判員制度の目的なんだとしたら、
プロの中に入って、素人は
どういうポジションを期待されてるんだろう?

いきなり素人がやってきて、
素人考えで異議を差し挟む、という余地は
なかなか見つけられないと思うんだけど


ヤモリ ひとつ、裁判員に期待されているのは
「事実認定」 なんだよ。


矢透 事実認定?


ヤモリ その事実はあったか、なかったか。
検察側が出している証拠と、
弁護士側が出している証拠と
どちらが普通に考えて「あった」といえるか
という判断なんだけど。

裁判官の判断が妥当かというと、
必ずしもそうとは言えないんじゃないか?
と思えるところがけっこうある。

「裁判官の考える世界」
というのがやっぱりあるんだよ。

その「アタマの中にある世界」と、
現実の世界との間にはどうしても
少しズレがある。
そういうところに裁判員の期待されている
ところがあるんだよね。


矢透 裁判官の人間としての限界なのか
職業としての限界なのか、わからないけど
とにかく
「一人の人間が判断する」ということの限界を、
裁判員が入ることで何とかしていこうと。


ヤモリ 要するに
裁判官は、こういうところ(喫茶店)で
飯を食ったことがなかったり
ゲームセンターで遊んだことも
なかったりするし、
そういうところで人間がどういう
行動をとるか、というのは
わからなかったりするのかな?
っていう思うことはある。

人間は常に合理的な判断をして
行動するわけじゃないでしょ。
「動揺していてよく覚えてません」
ということも
経験がある人ならよくわかるだろうけど
そういう経験がない人にとっては
「考えがたい。言い訳にしか聞こえない」
ということになってしまう。

裁判員が入ることによって
今まで簡単に切って捨てられていた
事実の中で
「これはもっと考えた方がいいんじゃないか」
というものを揺り戻すきっかけに
なるかもしれない。


矢透 そうか。そういうことは
あるかもしれないな。
えーと、そろそろ時間です。
今日はありがとうございました!


ヤモリ こちらこそありがとうございます。


これでヤモリさんとの対談は終わりです!
今後も、ヤモリさんには登場してもらおうと思います。
ご期待ください!